什器のこと
これまでのローカルなギャラリー開催では
什器や搬入のことで悩まなかった
イベント出店ではみごとに試練はそこだ
避けては通れないということなのだろう
ひと通りのケースを経験して
どういう形が残っていくのかは未知
雑貨的陶芸家tinker×3もみぃちゃんだよ
ディスプレイをするのは好きだ
ただそれに伴う什器を運ぶことがネックで
とくに重さや量の問題は切実である
レンタルシステムはあるけれど
やっぱりその数千円が売れない現場に
何度も行ったことがあるので
運べる工夫しようという思考回路になる
その数千円、別のことに使いたい
わたしはそういう価値観のようだ
☆
計画より1、2年前倒しに機会が訪れた
そのリズムに乗らない手はないと思って
必死に喰らいついているという表現がぴったり
マネージャーがいないのなら
ある程度でセーブする判断も
また必要な能力にちがいない
感情と現実は別として仕分けていかないと
生き残っていかれない分野だと思っている
生き残った先にしかできないことを
やれてはじめてストーリーができる
原料や燃料についても考えさせられる
そういう時期であり時代にいる
節約という目先のことではどうにもならない
そういうスケールではないと肌で感じている
キラキラして可愛いものを焼くには
電気が必要だというのは現実だ
しかし焼き物をじぶんの想像以上に
好きになったとき自然という原点に
興味が向くだろうとすでに感じている
体質のことがあるしどこまで現実か
知るにはもっと時間と経験が必要なのかも
一方で電気という恩恵から離れられない
魅力があるのも感じている
かわいくなければ好きだと思えなければ
つくらないほうがよっぽどエコだから
☆
もう9月の中旬なのかと慌てながらも
数をつくれば安心という考えからは抜け出し
納得のいく学びあるものをつくりたいと
一本の芯が通った感触がある
できた量ができる量だと信じている
迎合はしないが風はよみたい
これまでも言葉にはしてきたけれど
体現するってことと向き合っていきたい
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