てぃんかーてぃんかーてぃんかーもみぃちゃんと読みます✨

ガラスオタク的なこと

今日もとある病院の待合室で更新中
雑貨的陶芸家tinker×3もみぃちゃんだよ


ギャラリーのあいまに
どうしても予定が密集するよね〜


そうだずっと話してなかった友だちとも
ながら電話をしようかなとか
創作してないときのわたしはそんな感じ






ガラスのパーツづくりは日課のように続き
創作していないといっても
創作の準備をしていないわけではない





ガラスに関しては何度か焼くことの方が多い
ある意味陶芸の真逆な部分もあって

そこがまた不思議っていうか
異世界なところだと思う


第一段階の焼成をしておいて
使いやすいようにしておくことで
よりよい創作になるんじゃないかと
独学だけどそれはわかる



あと膨張係数というものがあって
ガラスならどれでも組み合わせ自由ではなく


ビンはもちろんガラスだから焼けるけど
このビンとそのビンは一緒にしない方が
いいだろうとか思うわけである

(膨張係数がわからないもの同士は
一緒にしないのが鉄則だというのが持論)







陶芸とおなじでなにを表現の媒介としても
創造力以上に想像力がないとつづかないし
どこかで見たようなものしかできない


どこかで見たものに感動は覚えないし
わくわくしないんじゃないかなと思う



どの分野もそうだと思う


教わったことをそのままやっても創造性はなく
そこからどうじぶんらしい表現を加えるか

そこがひとつの大きな分かれ目だと思う



基礎は大事
でも基礎をも超える想像力は
すべてを育てる力があると思う



学ぶことの枝葉は基礎を超える想像力で伸びる
なんてちょっとまじめに思う^^







「陶芸講座とか?」なんて身に余る打診には
わたしはつくる側だからと答える


勝手な理想だけど教える側にまわるなら
すべての手のうちを明かしてもいい
という覚悟っていうかな

つまり作家として生徒と張り合う気のない
そういう域になった場合するべきだと
個人的には思っている



体験ワークショップくらいなら?
という線引きもあるけど
それだって責任重大なことだと思う


その人が陶芸を好きになるか
陶芸はムリだったと思わせてしまうか
ワークショップにかかっているわけだから


ギャラリーにいて
いろいろな人の陶芸体験の話を聞くうちに
思慮深すぎる免疫もできてしまったようだ



ワークショップは
流れ的に取り入れていきたいのだが
どの程度なら良心が痛まないで
好奇心の窓口になれるかな
という気持ちでいたいなと思う

  • 同じカテゴリー(ガラス)の記事
     バーナー修行 (2025-04-04 20:13)
     10/19-27 アトリエいつき (2024-10-12 01:01)
     冬の新作「やどり木サンキャッチャー」 (2024-10-06 22:35)
     バーナーワークの計画 (2024-10-06 00:53)
     ワイヤーラッピングのこと (2024-10-05 16:43)
     バーナーレッスン (2024-04-27 14:12)

    コメント

    名前
    上の画像に書かれている文字を入力して下さい
    削除
    ガラスオタク的なこと
      コメント(0)